大樹のように

大地の奥深くにまで

見えないけれど 根を張る大樹

太い太い幹から

たくさんの枝葉を伸ばし

太陽の光を 一身に受ける

激しい雨や風に

ゆらいでも なびいても

決して倒れない

その姿は

小さな種から始まった

Harmony Oneness  光花

力強い生命力

樹齢何百年といわれるような大樹を見たことはありますか?

日本ではよくご神木として祀られていたりします。

屋久杉や縄文杉を直接見たことはないのですが、画像を見るだけでも相当なスケールです。

一度は見てみたいと思っています。

実際に目の前にしたら圧巻で、言葉が出ないでしょうね。

太い太い幹を支えているのは、根ですよね。

地面の下がどうなっているのか見えはしませんが、

どれだけ地中深く、どれだけの広さにまで根を張っているのか・・

その根があるからしっかりとした土台となって、悠々と大樹はそびえ立っていられます。

大地からの水分や栄養素を吸い上げて、幹からたくさんの枝葉へと送り、

空に手を広げるように、長い年月を経ながらどんどん成長していきます。

太陽はその成長を祝福するように光を照らし、

大樹も喜んで一身に陽の光を浴び輝きます。

たくましいその姿は力強い生命力となり、

激しい風雨で大きく揺さぶられたりなびいたりしても、

決して倒れません。

そうして人の一生と比べても、とても及びがつかないほどの年月を生き続けています。

その雄大で壮大な姿も、

最初は小さな種から始まっています。

一粒の小さな種だったのに、本当にすごいことだと思います。

大樹のように

人間もまた、樹木や種と同じように考えられます。

最初は小さな種のような存在。

小さな種でも、その可能性は無限。

様々な学びや経験を積んで、人としての栄養素を蓄え、

大地に根を張るがごとく土台ができていくから、可能性をどんどんと伸ばしていけます。

土台がしっかりしていれば、少々の雨風などものともしません。

激しい風雨に見舞われても、耐えて立っていられるようになります。

そしてどこまでも成長していけます。

土台がやっぱり大事ですね。

根が見えないように、人の土台も見えはしませんが、

少しずつでも経験や学び・気づき、努力や実践をコツコツと積み上げていけば、

何があっても倒れないような、しっかりとした土台ができていくでしょう。

年輪を重ねるように一年一年と成長し、

多くの枝葉が伸び広がって、日の目を浴びる時が来るのです。

小さな種だからと言って、過小評価しないでください。

多くの栄養素をたくわえ循環させながら、

大樹のように、たくましく成長していけばよいのです。

太古と自然の偉大さに思いをはせて

何年か前に「アナスタシア」という本を、情景を思い浮かべるように読んだことがあります。

人間が自然と共に生きていると、どんな能力が拓けていくか・・

また「木」というものの存在、「木」の不思議な力や能力も、

はかり知れないものがあるのだと理解しました。

「アナスタシア」を読んだ後に、『この地球に山や森は存在しない』という動画を知り見てみました。

こちらのブログにもありますので、見てみてください。

https://harmonyoneness.com/mezame-no-susume

億単位で地球の歴史をふり返ってみた時、地球はどんな星だったのだろうか・・と、

イメージや想像力を膨らませました。

人間がまだいなかった時代。

今の地球とは大陸の形も、気圧も気温も全然ちがっていたでしょう。

もしかしたら山のようにみえるような大樹が、実際に存在した時代があって、

長い長い年月をへながら多くの生物の誕生に、関わってきたのかも知れません。

セコイアという大木が現存しているのはご存じでしょうか?

カリフォルニア州サンフランシスコからロサンゼルス間の内陸部、シエラ・ネバダ山脈西側の山岳地に生育するスギ科セコイア属のジャイアント セコイア。

世界で一番巨大な木として知られています。

ジャイアント セコイアは一億数千年前、恐竜と同時代に最も栄えた裸子植物の生き残りであると推測され、

樹齢が3200年に達するものも見られ、樹高は80m、幹の直径がなんと10m以上に達するほどの超巨木が現存しているのです。

19世紀の頃までは、今よりずっと多くあったのだろうと推測します。

開拓時代といわれた100年間、いたるところの原生林が開拓者達によって次々と伐採されてしまいました。

巨木でなくとも産業の発展や金儲けのためなら、木の伐採など取るに足らないものなのでしょう。

伐採したまま放置すれば、砂漠化していくのです。

古代文明があったとされる場所が、

本当に文明が発達していたのかと疑いたくなるような、砂漠になってしまっているところが実際にありますよね。

木は、

いや、木だけではありませんが、

地球の自然の営みと、その循環を、

人間のエゴで破壊していけばいくほど、

人間にとっても住みにくい環境になってしまうという歴史があるのではないでしょうか。

日本で山がご神体として祀られてきているのは、

山と木々によって、生命にはかり知れない恩恵をいただいていることへの、感謝の現れなのではないかと思います。

神様を一柱二柱といって数えたり、

「木」をご神体としたり、「柱」を神の依り代、神の降臨する場所としたりする日本の伝統文化が残っています。

日本人はもともと、自然を大切にしながら共存してきた民族なんですね。

今あらためてそういった概念を、日本人である私たちが再びよみがえらせていく必要があるように思います。

ご縁に感謝します。

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