より良い選択をしていくために【言葉の意識と議論のあり方】
多くの人が個人的なやりとりから、広く公開する情報まで、ITの様々な媒体を通して思いや考えを発信することが容易になりました。
会ったことのない人とも繋がることができて、コメントも自由に書き込めます。
コメントのみならず発する言葉から、その人の思考・感情・人柄(人間性)を伺うことができます。
より良い人生や社会へとつなげていくためにも、「言葉に対する意識」と「議論の在り方」を考えます。
「言葉を選ぶ」意識

私たちは「言葉」を通して自己表現し、周りからの情報も受け取っています。
- 人は言葉を通して、考えたり学んだりします。
- 言葉を通して思いや感情を伝え、自己表現します。
- 人とのコミュニケーションも、意見交換・話し合いや議論するのも言葉です。
そういえば・・

子供の頃に「良い言葉使いをしなさい!」と言われた記憶がよみがえりました。
汚い言葉はやはり下品だし、美しい言葉使いの方は上品で、その人柄にも魅力を感じます。

言葉はその人の為人(ひととなり)を表すなぁ・・
と、改めて思います。
自分が考えたり思う思考、発する言葉、得る情報など、その「言葉」をどれだけ意識できていますか?
どんな言葉を選んだり使っているでしょう?
今一度、振り返ってみましょう。
言葉の影響力

座右の銘は、その人にとって大切な生涯にわたって影響していく「言葉」でしょう。
誰かから言われた「言葉」が、人生を転換をさせるきっかけになったりもします。
意識しないと何気に使ったり選んでいる言葉ですが、その言葉による影響はとても大きいと感じます。
選ぶ言葉や情報で、人柄や生き方、社会にまでも様々な影響が及びます。
国によって言語が違いますが、日本語は右脳を使うので「察する・感じる」感性が育まれる奥深い言語です。
しかしながら何事にも一長一短があって、ケースバイケースです。
良い方向に働けば良いのですが、そうではないこともあります。
- 「はっきり言わなければ ならない時」
- 「はっきり言わなければ 伝わらない時」そういう場面は多々ある。
- 「言って良い言葉」
- 「言わない方が良い言葉」もある。
はっきり言うにしても、人を不快にさせるような言葉は避けたいものです。
影響力がある言葉は、やはり思慮・考慮して選び使う必要があるでしょう。
思慮や考慮の浅さも、言葉に現れます。
言っている本人は気づかずとも、分かる人にはきっとお見通しなんだと思います。
結果に対して物言うのは簡単

ここ最近の新型コロナウイルス関連はじめ、様々な情報やコメントなどを私なりに見ていて思うのです。

「結果」に対して批判や批評をするのは簡単だ。
小さな選択から重大な局面での選択に至るまで、選択する時点では、その先どうなるか分かりません。
未知なるものに対して選択するわけです。
その選択が大きなものであればある程、勇気や覚悟を伴います。
大きな決断力も問われます。
相談をすれば、賛成・反対 当然あるでしょう。
その中でどうすべきか考慮し、決断して下した選択で何かしらの結果が出ます。
結果に見えても、いつだって「過程」の段階です。
どんな経緯があったか、そこを考慮することなく、
過程の中の一部分でしかない結果に対して、人はあれこれ言うのです。
言われることは様々あるでしょうが、
その中から良きアドバイスとなる言葉を選択できるとよいですね。
どんな状況や結果であろうとも受け入れて、その先はまたどうしていくべきか・・と考え、
その時その時「最善と思われる選択」をしていくだけなのではないでしょうか。
結果は過程であって、100%完璧な結果なんてないし、100%正解の結果もないのです。

見えている一部分や表面的な結果だけを見て、軽率に言いたい放題言うのはどうかと思います。
何を言っても自由かもしれませんが、
思慮が足りない言葉がそこかしこに横行して、言葉がひどく軽く扱われているように思えます。
その人の立場になってみないと、わからない事は沢山あるでしょう。
「言うは易く行うは難し」なのです。
言葉の扱い方を大切にするよう、意識したいものです。
議論が成り立つには

まともな議論が成り立つ状態は、互いに同等レベルの知識がある場合です。

幼稚園児と一流大学生が、何の話題で議論できますか?
一流大学生には幼稚園児の言っていることが分かっても、幼稚園児は一流大学生の話す内容についてはいけないでしょう。
何のことやら理解ができず、話し合いにはなりません。
真っ当だと思う事に関して、まったく関係ないようなくだらないコメントが書き込まれるのを見ると、幼稚園児がダダをこねているみたいに感じます。
ただ、相手にして欲しいだけなのかも知れませんね。
同じ土俵で意見したかったら、それなりの知識を学ぶ必要があるでしょう。
その上で自分の意見を持って、自信を持って発言すれば良いと思います。
それから、自分の意見が相手と違うからといって、相手が間違っているとは限りません。
意見するからには、互いにその土台となる知識や考え、根拠があるからでしょう。
議論するには冷静に、互いを理解し合おうとする意図がなければなりません。
好きとか嫌い、気に食わない・・といったような、感情が先立つ状態では、まともな議論や話し合いにはならないでしょう。
前向きで建設的な話し合いに必要なのは、互いに学ぶ姿勢と誠実であろうとする姿勢だと思います。
そうであってこそ、有意義で有効的な話し合いや議論になるでしょう。
最善の選択肢も見つかるものだと思います。
世界的岐路での選択にむけて

新型コロナウイルスの影響が、感染だけでなく経済にも世界的に大きな影響を及ぼしています。
世界各国・世界の組織・日本政府の選択が、国民ひとりひとりの生活にまで大きく影響してきます。
様々な情報「言葉」から、何をどう受け止め選択の道しるべにしていくか、個々の了見が問われます。
より良い選択をしていくために「言葉」を意識し、まっとうな「議論」ができる知見をもちましょう。
すべての人の意識は見えないエネルギーで、社会全体・世界とも繋がっています。
ひとりひとりの選択が、とても大切なのです。
自らの「言葉」ひとつにも意識をして、誠実な言動を心がけ、今できる最善に集中しましょう。
これまでの支配体制の中での常識は、大きく崩れ去ります。
新たな生き方へと時代が移行していく、チャンスを活かすのです。
情報の選択については、こちらの記事もぜひ参考にしてみてください。
様々な分野で活躍されていらっしゃる有識者の方々と議論をされている、こちらのYouTube番組でも学ばせていただいています。
大手メディアでは決して報道されない「コロナ情報」もあります。
こちらもぜひ検索してみてくださいね。
未来社会をプロデュース
松田政策研究所チャンネル
言葉を意識し、前向きな議論を巻き起こし、生きたい未来を創造していきましょう!
正解はなくとも、良い方向に進めるように。
ご縁に感謝します。
意識を変えて ワクワクの未来を創ろう♥